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@kanibeam_jp

自転車メッセンジャーやってます

とにかく文句を垂れる

※この記事は自分の主観と偏見に基づいています。

「無気力な若者が増えている」と言われて久しいが、気力あふれるタイプの職に就いて感じるのは「そんなもん若者に限らない」ということだ。

blog.kanibeam.jp

この記事にあるように、俺が1日に出会う300人ぐらい(だろうか)の人々はほぼ全員疲れ切っている。

さっさと仕事が終わり(あるいは、仕事が終わらなくても定時になって)さっさと帰ること、そして帰った後の晩酌だけを目標に死んだ魚のような目で対応する人がほとんどだ。自分探しをするのは若者だけだろうか。俺の立場からいえば誰しもが何かしらの上手く行かなさを抱えながら、その上手く行かなさをに誰かのせいにして、「自分は必死に生きているんです」「でもアイツ(ら)のせいで自分はこんな目にあっているんです」というポーズをして暮らしているという風に思えてならない。

大学を出てサラリーマンになり、仕事をソツなくこなして30歳前後で結婚し、子供が就職結婚する頃に定年退職して枯れ葉のように暮らして死ぬことが良い生き方とされる世の中だ。定年後にそば打ちを始めた人や大卒で好きなアルバイトに従事する若者は冷ややかな目で見られる。

決められたレールの上を歩むことが善で、そこから外れることが悪とされる世の中で常に綱渡りのようにギリギリ「ここまでは大丈夫かな」とハラハラしながらなんとか生きているのが日本の労働者のあり方だ。

メッセンジャーにはそういった「普通の疲れ切った人」が少ない印象だ。身体を動かして心身ともに健康と言うのはあるだろうが、好きなことをわがまま放題やれてるという後ろめたさというか自負というか、とにかく自分の人生に対して覚悟がある。好きで始めたことだからやるしかない。

「好きなことで、生きていく」とYoutubeのCMで一時期連呼されていたが、実際に好きなことで生きていくためには相応の努力が必要になる。なにしろ好き好き言うだけじゃなくそれを実際に金に変えるだけのスキルを身につけ、自分をブランド化しなければならないのだ。それは過去記事で紹介した本 に書いてあった「とにかく言われたことをやっていれば後から結果がついてくる」世界とは全く別の努力の仕方だから辛いのは仕方ない。

でも、今は好きなことぐらいでしか食っていくことができない時代であるのも事実だ。好きというか、特性といってもいいかも知れない。得意なことでなにか突き抜けないと食っていけない。終身雇用神話が崩壊した以上会社にしがみついていても会社の方から切り離されることがあるかも知れない。だったら自分のスキルを出来る限り高めて、会社などに依存しない働き方ができるようになるのが一番だと思う。


話は変わって、こと自分のことだが晩酌を辞めた。辞めればアッサリと辞められるものだと思う。今は機械飲酒・機械喫煙に留めている。具体的に言うと、休みの前日、当日と友人に会った日以外は飲まない。喫煙ははもともと葉巻派なので金銭的に毎日毎日吸えない。

晩酌を辞めたのは「タバコに吸わされるのはダサイ。酒に飲まされるのもダサイ」というふうに思うようになったからだ。自分の意志の強さを魅せつけるとかじゃない。もっと単に「本当に自分が飲みたいとか吸いたいって思って飲んでるのかな」と疑うようになったからだ。

聞きかじった話だけど日本人は晩酌率が異様に高いのだという。毎日酒を飲むのが当たり前というのは、外国の人から比べれば「意味がわからない」というような話を効いたことがある。俺も今思えば意味がわからない。

喫煙に関してもそうだ。「毎日タバコ一箱」とか意味がわからない。四六時中ワンカップを片手に持ってフラフラしてるこ汚いおじさんはヤバイと思うんだが、ことタバコに関しては仕事の合間に一服して昼休み御飯のあとに一服…と一日中ことあるごとに吸うのが当たり前になっている。飲酒運転は重罰なのに喫煙運転はOK。「薬物をキメながら運転する」と考えれば程度の差はあれどれも一緒だろうと思われるのだが。

ちなみに、酒もタバコも抜けば抜くほど弱くなる(当社比)。たまに飲み吸いすると「えっこんなに弱かったっけ?」とビックリするのだ。やっぱり毒なんだなぁ…と感じる。


で、一見無関係のこの2つの話題がピッタリと合致するのだ。伊坂幸太郎の小説のように。今から鮮やかな文章さばきで読者の皆さんにカタルシスを感じさせてみせよう。(誇大広告)

この日本人の「合法ドラッグ依存」や「人生への虚無感」は宗教観の欠如と関係があるのではないかというのが俺の主張の主旨だ。

「日本人は無神論者が多い」「日本人は特定の宗教を信じていないのに道徳観がある」とよく言われている印象だ。おそらくそれは間違っていない。今時日本でクソ真面目に宗教を信仰していると「時代遅れ」または「頭がおかしい」と思われる。

私見だが、おそらく日本の宗教観が決定的に破壊されたのはオウム真理教事件だと思う。本当に最初期は明治時代あたり、文明開化の時期に欧米の考え方に感化されたあたりだったり戦前後に新興宗教が乱立したことに(小乗)仏教徒である多数の日本人がドン引きしたりといったことだろうが、おそらく地下鉄にサリンが撒かれたあの日を境に「宗教にハマるやつはヤバイ」という認識が一般に浸透したと思われる。

その代わりに日本に浸透した新たな宗教は拝金主義だ。金さえあれば自己実現ができる。金さえあれば生涯安心して生きていられる。

よくよく考えればテレビでしきりに騒がれてる海外セレブが注目していることになんの意味もないのだ。海外セレブが注目するスクランブルエッグの何が美味いのか。卵くらい自分で焼けば自分にとってベストなスクランブルエッグがいつでも食べられるというのに。

でも現実は違う。海外セレブがステータスなのだ。セレブとあなたは違うのに、なぜセレブの真似事をしなければならないのだろう?プール付きの豪邸に住んで、ゴールデンレトリバーを飼って、家にジムを作って、それから?

実際には(彼らが)参考にすべき(と考えている)海外セレブもある程度宗教に生活態度を依存している部分もあるのだ。海外セレブといえばやたら募金をするイメージがあるが、あれはもちろん税金対策の意味はあれどベースの考え方(ノブレスオブリージュ)を突き詰めれば根本にキリスト教的道徳心があるからと思われる。金があれば徳を積めるのだ。必要分以外はじゃんじゃん募金してしまったほうが良いということではないか。

また、東京いる人は驚くほど信号無視をする。歩行者はたかが数メートルの横断歩道であれば信号にお構いなく渡ってしまうし、自動車に乗っていても明らかにアウトなタイミングで交差点に飛び込んでくる人ばかり。メッセンジャーは本当にいくら命があっても足りないと思う。

つまるところ、宗教を捨て拝金主義に走った日本に正義などありはしないのだ。日本人が高い道徳心があるように見えるのは余計なことをして社会のレールから外れ、安定した稼ぎを得られなくなることが怖いからに過ぎない。道徳心でも何でもないただのリスクマネジメントだ。道徳心が自分にもないのだから、他人の行いにも期待できない。自分が困ったときに救ってもらえないのに誰かが無条件に救ってもらうのは納得できない。だから何かと自己責任論が横行しているというところだろう。顔の見えないネット上だとその声が大きくなるのも、「バレなきゃ何をやっても構わない」という日本人らしい。

誰も自分を救ってくれないのだから自分が率先して人を出し抜くしかない。人の心には誠実さのかけらもない。自分が万が一困窮しても政府も隣人もアテにならない。もちろん神様なんていない。そんな世の中で励みになるのは酒やタバコといったドラッグしかないんじゃないだろうか。

こんなことを言うと「じゃあ日本を出ていけ」とか言われそうなので先回りして言うと、それでも日本は世界の中でもトップクラスにいい国だと思う。安全で、食べるだけなら困らなくて、人は色々言うけど最悪生活保護の制度も整ってて、医療保険の水準が高くて、なにより水が簡単に飲める。こんないい国はないと思う。道徳的水準にしても、上でああは言ったが高いほうだろう。

だからこそ、あと一歩頑張れば完璧なのになと思う。誰もが自分の人生に立派に責任を持ち、ほんの少しの優しさを人に分け与えてあげられるような。

27歳フリーターから見た日本はそんな感じ。