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@kanibeam_jp

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読書感想文「都市と地方をかきまぜる~「食べる通信」の奇跡~ (光文社新書)"(高橋 博之 著)」

読書関係

ほんとに面白い!

都市と地方をかきまぜる 「食べる通信」の奇跡 (光文社新書)

都市と地方をかきまぜる 「食べる通信」の奇跡 (光文社新書)

以前の記事に続く、「なんで日本はこんなことになってしまっているのか?」シリーズの第二弾と言ってもいい。

多分みんな薄々感づいてると思うけど日本のサラリーマンで稼いでる人ほど疲れ切ってるよね。

年間の自殺者3万人だったり、幸福度調査でもポイントが低かったり。「自分の人生って何なんだろう」って考えてしまう瞬間があるんじゃないかと思う。

かつて、食べることと食べ物をつくることは密接な連関があった。

農家の人がお米や野菜をつくり、漁師は魚を海から獲ってきて、畜産家や猟師が肉を調達する。

これらを家族単位、ムラ単位でやりとりしてきたのがかつての日本の姿だったんだけど、田舎からサラリーマンとして東京に出る人が増えてから変わってしまった。

東京に出稼ぎに行ったきりおよそ3世代の交代があって、もう田舎の人と都会の人は繫がりが絶たれてしまっている。

そうして、顔も見えない誰が作ったかわからない食べ物を口にするようになったのが都会の疲弊の始まりだという。

確かにそうだ。

何気なくしてる「うつ病になりやすい習慣」が判明! 寝すぎもダメなのか・・・ : オレ的ゲーム速報@刃

この記事にもあるように、エネルギー摂取における炭水化物の割合が高すぎると人はうつ傾向になるという。

個人的にもなんとなくそんな実感はしている。

他人の記事を引用して関係があるようでないようなことを書く - @kanibeam_com

先日こんなことも書いたけど、やっぱり炭水化物に寄ったりしてる時って心に余裕がない。

心に余裕がないからついつい肉と米ばっか食べちゃうのか、肉と米だけでざざざっとご飯を済ませてるから心に余裕がないのかはわからないけど…

食事の質はやっぱり大事だと思うし、自分の身体は自分の食べたものでできていると思う。

「誰が作ったかわからない食べ物」は極端に言えばバーチャルの世界のものだ。自分の手が届かないというか、生産のプロセスがないから自分の栄養や滋養になっている感覚がない。

「現代人にとって食べることはガソリンの給油のようなもの」と本書では書いてあるけど、まさしくそうだと思う。

そうして食べることが自分の手から離れると、生きることそのものがバーチャルになっていく。現実に対する虚構だ。

前もこんな話を書いたな…

なんかみんな疲れすぎじゃないかと思う - @kanibeam_jp

あった。

もちろん人によりけりなんだけど、荷物を届けに行っても死んだ目で対応してくる人は少なくないし、街を走っててももちろんなんとなく浮き足立った人をよく見かける。

(僕も人のことは言えないけど)あまりにスマホの画面を覗き込みすぎて他人とぶつかったり信号無視しかけてクラクション鳴らされたりする人なんてしょっちゅう見かける。

SNSの世界もまぎれもない現実ではあるんだけど、「今ここ」の意識がどこかに飛んでいってしまってるんじゃないだろうか。

(関連書籍)

苦しまなくて、いいんだよ。

苦しまなくて、いいんだよ。

話を戻すと、この本で紹介されてる「食べる通信」では、生産者の苦労話というか「この食材はこうやってできました」というストーリーとともに毎月食材を届けるのだという。

また、この食べる通信そのものがコミュニティになって生産者と消費者(つまり地方と都市)をつなぐ架け橋になっている。

「これってどう食べたら美味しいの?」「こうやって食べたら美味しかったです!」といった会話が繰り広げられているんだろう。かつて八百屋や魚屋ではあった光景だ。そこから更に飛び越えて都市から農業、漁業体験に行く人もいるんだそう。

これはまさに生きる光景だ。自分の口に入れるものから手を抜かないことはよりよい人生を生きる第一歩じゃないかと思う。

よく考えれば当たり前のことなんだけど、ごくイージーに食べ物が手に入るこの世の中では難しいことなのかもしれない。

「東北食べる通信」の成功の軌跡はビジネス本として納得できる部分もあるのと、自分の生きる力をどう養うべきか?なぜ日本の頭脳労働者は疲弊しているのか?そんなことをよく考えさせられた本だった。

「俺は何をやってるんだ?」ってついつい考えてしまう人にはすごいおすすめです。